『君主論』第一章である。各章のタイトルはラテン語で書かれている。やはり見栄えの問題なのだろうか。
Quot sint genera principatuum et quibus modis acquirantur.(君主国にはどういった種類があるか、またどのように獲得されるものか)
最初からマキャベリ特有の「~か、・・・か」の二分法のオンパレードとなっている。見てみよう。
(1) Tutti gli stati, tutti e dominii che hanno avuto et hanno imperio sopra gli uomini, sono stati e sono *o republiche o principati.
すべての国々、すべての統治領で、これまでにもまた今でも人々に命令権を持っているのは、共和国か君主国である。
注)単複表記で示すと原文のstato/iとdominio/iだが、「国々」と「統治領」としたが、この単語の意味の相違は何に拠るのだろうか。前者は英語のstateステートで後者は支配dominationだが、具体的に何を、どの国どの地域を念頭にこれらの二単語を並べているのだろうか。またimperioは命令権でいいかなぁ。要するに、「これはやっていいが、あれはやってはダメだ」と言い聞かせる、ないし従わせる実力や権力のことだろうが、これを行使してきたのが共和国か君主国となっている。盗賊団のボスとかマフィアのボスなんてのはどうなるのか。そんなこんなで、日本語だけで考えると、本来の意味はこうなるんじゃないだろうか。すなわち、「すべての国々、すべての支配体制でこれまでにもまた今でも人々に命令するにあたっては、共和主義型か君主主義型かである。」、もっと飛躍して「これまでも今でもあらゆる国々、あらゆる支配体制は合議でかあるいは君主単独で人々を治めてきた。」でどうか。
(2) E principati sono *o ereditarii, de' quali el sangue del loro signore ne sia suto lungo tempo principe, o sono nuovi.
君主国には世襲制のものか、その領主の血筋が長い間君主だったものと、まったく新しいものとがある。
(3) E nuovi, *o e' sono nuovi tutti, come fu Milano a Francesco Sforza, o sono come membri aggiunti allo stato ereditario del principe che gli acquista, come è el regno di Napoli a re di Spagna.
新しいものには、まったく新たなところか、例えばフランチェスコ・スフォルツァのミラノがそうだったし、一方で獲得した君主の世襲領土の部分的手足のごとき、スペイン王のナポリ王国のようなものがある。
(4) Sono questi dominii così acquistati *o consueti a vivere sotto uno principe o usi ad essere liberi; et acquistonsi *o con l'arme d'altri o con le proprie, *o per fortuna o per virtù.
こうして得た支配地だが、一人の君主の下で生活するのに慣れているところか、自由
な暮らしに慣れているところがあり、手に入れるにも他人の武力か自力による場合があり、また運命(fortuna)によるか力量(virtù)による場合がある。
注)運命(fortuna)と力量(virtù)、マキャベリ作品におけるどちらもキーワードで珍しく哲学的な概念を示す。運命とか力量と言っても、じゃあ具体的に何を表すかとなると一義的に決めづらい。運命は外因で力量は内因なのだから、強いて単純に抑えるならfortunaは「巡り合わせ」でその中身は<人々の想い>、virtù は「徳」でその中身は<知と力>。どうだろうこれで。最終章まで読み終えてなお、こういう理解で耐えられるかどうかだろう。
2019_0203